柴田政見調教師がプロキオンSに使う、
コーリンベリーについて。
柴田調教師は青森県の農家の次男として生まれ、
叔父には乗り役だった柴田不二男さんがいまして、
その不二男さんの勧めで、政見調教師の実家では競走馬の生産も行っていたそうです。
そして彼は、中学2年生の時に、名古屋競馬場で初めて競馬を見たのをきっかけに騎手を目指し、
中学を卒業してから、馬事公苑の騎手課程に入り、
1965年、中京競馬場で厩舎を開業していた不二男さんのところから騎手としてデビューしましたね。
ちなみにその後には、彼の弟で、今は美浦で調教師をやっている柴田政人調教師や、
その一つ下の弟の利秋調教師も、政見調教師の後を追い掛けて乗り役となっていまして、
彼ら3人が現役の時は、「柴田三兄弟」と呼ばれていました。
乗り役としての政見調教師は、ミスハツライオーに乗った1966年の京都牝馬特別(現在の京都牝馬S)で初めて重賞を勝ち、
その後も、ディクタボーイに乗った1973年のシンザン記念、
サンライダーに乗った1980年の中日新聞杯など、
重賞9勝を含め通算364勝という成績を残し、
調教師の試験に受かった1990年に乗り役を引退して、その次の年に栗東に厩舎を開業しました。
最初の年は「7勝・獲得賞金9784万円」という成績でしたが、
2000年→開業以来最多の19勝を記録
2002年→ダブルハピネスを使った武蔵野Sで重賞初勝利
2010年→開業以来最多の2億7944万円の賞金を獲得
2012年→マーベラスカイザーを使った中山大障害でGI初勝利
といった実績を積み重ねていまして、先週までで、4つの重賞を含むJRA通算252勝を上げています。
ただ、最近の成績は、
2011年→11勝・獲得賞金1億8616万円
2012年→10勝・獲得賞金1億9908万円
2013年→8勝・獲得賞金1億7067万円
2014年→9勝・獲得賞金1億6819万円
と、これまでの実績を考えますと、明らかに物足りないものとなっています。
そのため、柴田調教師は、「今年はいい成績を残したい」と考えている筈ですが、
今年に入ってから先週までの成績は、「3勝・獲得賞金5010万円」と、
去年を大きく下回る数字となっていますから、今の彼は、危機感を抱いているでしょうし、
「重賞を勝って一気に賞金を稼ぎたい」と強く願っている筈です。
そこで私は、柴田調教師がコーリンベリーをどう仕上げてくるのか、
最終追い切りを確認しましたところ、レースでも乗る松山調教師が跨って、
坂路で53秒5、終い12秒4という時計をマークしていました。
時計の出にくい馬場状態でしたが、とても柔らかいフットワークで、
キビキビとした動きを見せていましたから、柴田調教師が、
力を出し切れるデキに仕上げてきたと判断していいでしょう。