トレセン関係者が語る。

「日本では、所属する厩舎が

管理する馬への騎乗を優先させなければならず、

騎乗したい馬に乗れない不満もあった。

でもエージェントに頼めば

厩舎とのしがらみもなく、

レースにだけ集中して馬に乗れる。

つまり、優れた騎手が優れた馬に乗る、

というアスリートなら当たり前のことが、

ようやく彼によって示されたのです。

それまでの競馬サークルには

まだ徒弟制度が残っていて、

満足に稼いだ金をもらえない騎手もいるほどでした」

岡部氏により近代化が図られたのはよかったが、

デメリットもあったようだ。

先のエージェントが言う。

「岡部さんは1つのレースに

複数の騎乗依頼があった場合、

騎乗できない馬への依頼を(松沢氏を通して)

みずからを慕う

蛯名正義や柴田善臣、

田中勝春らの“子分”に振り分けた。

そうすれば、その馬を

他の騎手に取られる心配をせずに済むからです。

そこからいわゆる

『岡部ライン』というものが出来上がり、

レースにも反映するようになってしまった。

岡部さんが逃げたりすると、

子分騎手は絶対に競ったりしないのです。

結果、

『スローペース症候群』が蔓延したことも‥‥」

こうした談合めいたレースは

熱心な一部ファンの不評を買い、

JRAにも

「スリルのないレースの一因となっている

エージェントの存在を認めているのか」

との問い合わせがしばしばあったという。

むろんJRAはそのたびに、

「認めてはいない」と言ってきたが、

時代の流れにはいつまでも逆らえなかった。

岡部氏を見習って騎手がどんどんフリー化し、

エージェント制を導入する中、

とうとうJRAも06年春、

正式に認めざるをえなくなる。

「騎乗依頼仲介者」

として届け出ることを義務づけたのだ。

JRAは現在、公正確保のために、

1人のエージェントに対し、

担当できる騎手3人+減量騎手(見習い騎手)、

または外国人騎手1人という制限を設け、

許可している。

正式に認められたエージェントの主な業務は、

大きく分けて次の二つ。

①担当騎手の騎乗馬の確保。

「今度、あの馬にうちの

○○を乗せてもらえませんか。

空いてますから」

と営業活動もする。

②騎乗依頼の整理。

同じレースに複数の依頼が来た場合、

それを自分が担当している別の騎手に振り分ける。

だが、この兼業実態に元エージェントは、

こんな疑問を投げかけるのだ。

「兼業はよくない、

と誰もが内心では思っています。

担当の騎手に脈のある馬を用意する一方で、

その馬が出るレースの予想行為

(◎○▲などの印を打つ)も行っているわけで、

あらぬ問題が生じかねない」

そのため、

“エージェントの思惑を読んで馬券を買わなくてはダメだ”

とも。

本来は、欧米のように

専門職として独立させるべきだというのだ。