土田稔調教師の厩舎がセントライト記念に登録している、
キークラッカーについて。
土田稔調教師は、去年の2月に調教師を引退した大久保洋吉調教師の厩舎で、
1974年から調教助手になって、
1979年の天皇賞・秋と有馬記念で2着だったメジロファントムなど、
多くの馬の調教に乗って腕を磨いていました。
最近では、長い間、一つの厩舎で修行をする人は減っているように感じますが、
土田調教師は、調教師の試験に受かった1992年までの18年間、
ずっと大久保調教師のところにいましたから、
きっと、大久保調教師のことを尊敬していたのでしょう。
1993年に自分の厩舎を開業した土田調教師は、最初の年こそ7勝止まりでしたが、
2年目に15勝して、1億8523万円の賞金を獲得すると、
5年目の1997年には26勝して、3億6936万円の賞金を獲得しています。
また、その後も、
1998年→17勝・獲得賞金2億8282万円
1999年→23勝・獲得賞金3億6179万円
2000年→16勝・獲得賞金2億5869万円
2001年→25勝・獲得賞金3億8883万円
という、いい数字を続けていて、2001年は今までで一番多い
「3億8883万円」の賞金を獲得していました。
ただ、去年までの5年間は、
2011年→10勝・獲得賞金1億2797万円
2012年→7勝・獲得賞金1億3122万円
2013年→9勝・獲得賞金1億6023万円
2014年→13勝・獲得賞金1億9446万円
2015年→8勝・獲得賞金1億2490万円
と、2001年の成績と比べると、物足りない状況が続いています。
そして、今年は先週までで、「8勝・獲得賞金8538万円」という数字に留まっていますから、
このままのペースでは、去年までの5年間と同じような成績になってしまうため、
今の土田調教師は、「賞金の高い重賞を勝って、この流れを変えたい」と願っている筈です。
それに、土田厩舎は、2008年に、
タイキレーザーを使った東京オータムジャンプを勝ってからは、
重賞で「22連敗中」となっていますから、土田調教師は
「何としても重賞の連敗を止めたい」とも考えているのでしょう。
そして今週は、1着賞金5400万円のセントライト記念にキークラッカーを登録していますので、
間違いなく全力でこの馬を仕上げてくると見ていました。
そこで、最終追い切りの様子を見たところ、
ポリトラックに入れられて、5Fが65秒8、
終いの1Fが12秒1という時計を馬なりで出していました。
全体の時計は平凡なものでしたが、鞍上のゴーサインが出ると、
抜群の反応で一気に伸びていましたから、
力を出し切れるデキに仕上がったと見ていいでしょう。