加用正調教師が鳴尾記念に登録している
アズマシャトルについて。
加用調教師がこの世界に入ったのは、中学生の時、「馬事公苑騎手課程」の様子をテレビで見た時に、
「自分も騎手になりたい」と思ったのがきっかけだったそうで、実際に中学校を卒業した後はすぐ馬事公苑に入って、
それから6年半ほど修行を積んだ後、1976年に乗り役としてデビューしています。
そして、最初の年に19勝を上げて、絶好のスタートを切った彼は、4年後の1980年には、
ノトダイバーに乗ったシンザン記念で初めて重賞を勝つと、その後も、
ダイナカーペンターに乗った1988年の阪神大賞典や、
ダイタクヘリオスに乗った1991年の高松宮杯など、
重賞20勝を含む通算559勝を上げ、調教師の免許を取った1993年に引退し、
1994年に厩舎を開業したんです。
なので、今年で開業21年目という、もうベテランの域に入っていて、
エイシンガイモンを使った1996年と1997年の関屋記念や、
ランニングゲイルを使った1997年の弥生賞や、
リミットレスビットを使った2006年の根岸Sや、
ドリームバレンチノを使った去年のJBCスプリントとか、
重賞をいくつも勝てていますし、2007年には31勝を上げて優秀調教師賞をもらうなど、
毎年コンスタントに20勝以上の勝ち鞍を上げて、去年までにJRAで458勝と、
乗り役だった時と同じように、調教師としても順調に勝ち星を伸ばしていました。
ただ、2013年のシルクロードSをドリームバレンチノで勝ってからは、
2年半近くも重賞勝ちをご無沙汰していて、先週までに管理馬が重賞で「36連敗中」となっておりますので、
このままですと多くの馬主さん達に対して、
「加用調教師のところは中央の重賞を勝てない」という印象を与えてしまうこととなり、
それが今後、厩舎をやっていく上でマイナスになるのは間違いないです。
しかも、今の加用調教師が預かっている43頭の内、
これまでに4億2119万円の賞金を獲得している「稼ぎ頭」のドリームバレンチノは、
前述した通り、昨年11月の交流重賞・JBCスプリントを勝っているものの、
今年に入ってからは、3月の黒船賞で2着、4月の東京スプリントで6着、
さきたま杯で5着と、地方でも勝てておりません。
なので、今は加用調教師が、「ドリームバレンチノが勝てていない分を他の馬で勝ちたい」と考えている筈ですから、
1着賞金4000万円の鳴尾記念に登録しているアズマシャトルに対しては、
渾身の勝負仕上げで出走させてくると見ておりましたので、
最終追い切りの内容を確認したところ、
レースでも乗る和田騎手がポリトラックで強めに追って、
全体80秒9、終い11秒4という時計を出して、
タガノクレイオスをコンマ4秒追い掛けて、
最後はコンマ6秒先着と、伸びのあるフットワークで相手を圧倒しておりました。
このデキなら、ここでも上位に食い込んでくる可能性は大いにあると見ています。