根岸Sにキョウエイアシュラを使う、
森田直行調教師について。
森田調教師のお父さんは、1972年の天皇賞・秋を勝ったヤマニンウエーブなどを育てた中村覚之助さんの厩舎で調教助手をやってから、
名古屋競馬で乗り役をやっていた方で、幼い頃から競馬が身近だった森田調教師は、
最初、乗り役を目指していたそうですが、身長が伸び過ぎたために諦めて、普通に会社員として働いていたようです。
ただ、調教助手をやっていたお父さんが腰痛で仕事を辞めることになって、
その時に「お前だけでも競馬に関わってくれないか」と頼まれ、それで23歳の時に競馬学校に入って、
1985年に長浜彦三郎さんの厩舎で厩務員になっています。
その後は、1988年から長浜博之厩舎、1989年から福島信晴厩舎、
2007年から松田博資厩舎と、4つの厩舎で経験を積んでから、2013年に、
JRAでは初めて、現役の厩務員として調教師の試験に受かっています。
調教師を目指す場合、普通はまず厩務員から調教助手になって、それから試験を受けるのですが、
体重が70キロ近くある森田調教師は、調教師から
「馬に負担が掛かるので乗らないで欲しい」と言われたこともあって、
調教に乗らなくていい厩務員のまま、調教師を目指すこととしたそうです。
それから森田調教師は、厩務員として、朝から晩まで馬の世話をしながら、
毎日1~2時間くらいしか寝ないで調教師試験の勉強を続けて、
11度目の挑戦でようやく受かったのですから、この時は本当に嬉しかったのでしょう。
そして、調教師の試験に受かってから厩舎を開業するまでの1年間は、安田記念を勝ったグランプリボスや、
ダービーを勝ったディープブリランテなどを育てた矢作調教師の厩舎で、
技術調教師として経験を積んで、去年の3月に自分の厩舎を開業していて、
矢作厩舎から引き継いだキョウエイアシュラが、6月14日(土)の安芸Sで森田厩舎の初勝利を上げました。
しかもこの馬は、地方交流重賞のオーバルスプリントも勝ったのですから、
森田調教師にとっては、「思い入れの強い特別な一頭」なんでしょうね。
ただ、森田調教師の厩舎は、まだJRAの重賞を勝てていませんから、今は間違いなく、
「早くJRAの重賞を勝ちたい」と考えている筈で、根岸Sに使うキョウエイアシュラのことを、
早い内から「勝負懸かり」と見ていました。
ですから、この馬の最終追い切りを念入りに確認したところ、
坂路で一杯に追われて、力強い脚捌きを見せていました。
雨のせいで馬場がかなり悪かったので、全体が57秒3、終いが12秒6と、
時計は掛かっていましたけど、体の張りや毛ヅヤもかなり見栄えがするものでしたから、
前走のマイルCS南部杯から3ヶ月振りとなりますけど、ほぼ仕上がっていると考えていいでしょうね。