社台グループ─。

現競馬界でその生産馬が次々と台頭し、

JRA重賞レースの勝ち鞍を席巻する

実力派巨大軍団であることは、

競馬ファンの誰もが認めるところだろう。

社台ファーム(吉田照哉代表)、

ノーザンファーム(吉田勝己代表)

といった、創始者・吉田善哉氏の子息が運営する

牧場から輩出される馬は今や、

厩舎、調教師、騎手にとって、

半ば「不可欠」なものとなっているのだ。

03年から05年まで

3年連続年間200勝以上を達成するなど、

天才の名をほしいままにした武豊が

ここ数年、極度の不調に陥っているのは、

社台グループを怒らせ、

敵に回したことが一因‥‥

発端となった「事件」として、

10年秋のジャパンカップ(GⅠ)の、

レース後の審議を巡る

「舌禍トラブル」が

競馬関係者の間では指摘されているが、

武本人も言うとおり、

多分に「誤解」「曲解」が

介在している可能性は高い。

だが、「真相は別の原因にある」と、

社台グループと

深い関係を持つ馬主が重い口を開き、

社台を代弁したのである。

まず最初に問題となったのは、

ヴィクトワールピサという

社台ファーム生産馬のレースだった。

「09年10月の新馬戦からずっと

武が乗っていた馬ですが、

10年4月の皐月賞(GⅠ)、

5月の日本ダービー(GⅠ)で

岩田康誠に乗り替わった。

そこまで5戦4勝だった武は、

皐月賞直前の3月に毎日杯(GⅢ)で落馬、

鎖骨と腰椎を骨折する大ケガを負い、

長期休養を余儀なくされたからです。

岩田は皐月賞を勝ちましたが、

それでも馬主の市川義美氏は

武をひいきにしていて、

『乗れるなら乗せてあげたい』

と言っていました」

その年の10月、

骨折から復帰した武は、

世界最高峰の競走とされるフランスGⅠ

凱旋門賞でヴィクトワールピサと

再度タッグを組んだ。

馬主が続けて明かす。

「しかし、この内容がヒドかった。

20頭立てであとから行くと

馬群に揉まれる危険性があるのに、

馬群に包まれたまま後方

4、5番手で最終コーナーを回った。

直線の勝負どころでは馬群をさばけず、

追いだしてやっと伸びた頃にはすでに遅し。

7着に終わりました。

この馬、実は半分は吉田照哉氏の名義なんです。

それで照哉氏は

『騎乗ミスだ、もうユタカの時代は終わったな』

と激怒した」

馬群に沈んだまま、

競馬場をぐるっと回ってきただけ。

そんなふがいないレースぶりに、

社台の重鎮が憤慨したのだ。

とはいえ、

この1レースだけで直ちに斬り捨てたわけではない。

武にとって名誉挽回のチャンスはすぐに巡ってきた。