奥村武調教師がフェアリーSに使う、
ルミナスティアラについて。
東京都板橋区出身の奥村武調教師は、周りに競馬関係者はいなかったそうですが、
13歳の時、オグリキャップとホーリックスが叩き合った1989年のジャパンCを見て、競馬に興味を持ったそうです。
次の年のダービー(勝ち馬はアイネスフウジン)は、
お母さんと一緒に見ていたそうで、その時、心の底から競馬が好きになって、
中学2年生の頃には、騎手を目指していたそうですが、
身長が伸びてしまったため、騎手になることを諦めたそうです。
その後は、1999年に芝浦工業大学を卒業してから、
「やっぱり馬に関わりたい」と育成牧場の「ディアレストクラブ」で働いて、
2001年、競馬学校の厩務員課程に入り、次の年に高橋義博調教師の厩舎の厩務員になって、
2003年には、国枝調教師の厩舎の調教助手をしていました。
奥村調教師が、国枝厩舎にいた時には、2010年の牝馬三冠など、
GIを5つも勝ったアパパネを担当していて、彼自身、
「その時の経験は自分にとって大きな財産だ」と言っていましたし、
国枝調教師の教えはとても勉強になったとも言っていましたね。
そして彼は、三度目の挑戦で調教師の試験に受かって、
一昨年の3月に自分の厩舎を開業して、
この年は、最終的に「8勝・獲得賞金1億3762万円」という成績でした。
ただ、毎年のように30勝以上をしている国枝調教師のところで、
11年間も調教助手をやっていた師にとって、この数字は満足できるものではなかったでしょう。
ですから、去年の奥村調教師は、「何が何でも前の年を上回りたい」と思っていたのでしょうし、
実際、「16勝・獲得賞金2億22577万円」という、一昨年を大きく上回る成績でした。
ただ、重賞では、一昨年は1回、去年は7回、管理馬を使っていますが、
まだ勝てていませんので、今の奥村調教師は、
「国枝調教師のようになるため、一日も早く重賞を勝ちたい」
という思いで頭がいっぱいなのでしょう。
そして奥村調教師は、11日(月)のフェアリーSにルミナスティアラを使いますので、
初めての重賞勝ちを狙って、迷わずメイチに仕上げますし、
最終追い切りの様子を確認したところ、
レースでも乗る内田騎手が南ウッドに入れて、
全体が53秒1、終い1ハロンが14秒2という時計を出していました。
プラチナフェアリーの内をコンマ2秒追い掛けて、
馬なりのまま、最後はキッチリと同入に持ち込んでいた動きは、
「力を出し切れるデキだ」と思えるものでしたから、いいレースが期待できそうです。