オルフェーヴル、

ゴールドシップらの父として、

今や大種牡馬の地位を

不動のものにしているステイゴールド。

武豊が父馬に乗っていなければ、

この2頭は存在しなかったかもしれない。

競馬ライターが証言する。

「ステイゴールドは2着の多さから

『善戦マン』や『シルバーコレクター』

とありがたくない異名が付いていた。

それでも池江泰郎調教師は

主戦の熊沢重文に勝たせたい一心で

我慢強く乗せていた。

それにサンデーサイレンス産駒に共通する

気性の悪さもあり、

豊に渡すのをためらっていたようです」

だが、我慢するにも限界がある。

「泣く泣く熊沢を降ろし」て、

豊に依頼したのが00年の目黒記念。

そして、見事期待に応えてみせる。

通算38戦目、

約2年8カ月ぶりの勝利のパフォーマンスだった。

「豊はサンデーサイレンスを

現役当時のレースビデオを見て研究していて、

クセの悪さは把握していました。

だから、その仔も気性に難があったとしても

乗りこなす自信はあった。

もちろん

ステイゴールドもチェックしていたはずで、

この重賞初勝利で

種牡馬になるメドが立ったと言われます」

(競馬ライター)

種牡馬としての評価を高めるには

より価値のある勲章が必要だったが、

それも豊があっさりやってのける。

ステイゴールドが現役ラストイヤーの01年、

GⅡドバイシーマCと

引退レースのGⅠ香港ヴァーズを、

見事制覇させるのだ。

豊はそれから4年後の05年には

池江泰調教師が管理する

ディープインパクトで

シンボリルドルフ以来、

20年ぶり2頭目の

無敗の3冠馬騎手になる。

しかし‥‥。

「確かに03年から3年連続で

200勝以上という偉業を成し遂げています。

でも00年の130勝は豊には平凡な数字、

01年は長期の海外遠征があったとはいえ、

わずか65勝で

リーディング首位を同期の蛯名正義に譲った。

4カ月の休養を余儀なくされた

10年の落馬負傷事故で

体が思うように動かなくなったのが、

急激に勝ち星を減らす原因と言われますが、

00年頃から競馬への貪欲さが

欠けてきていたのではないでしょうか」

(栗東トレセン関係者)

昨年の54勝、勝率・095、連対率・195は

デビュー以来、最低だった。

社台グループとの確執などがあったにしても、

天才らしからぬ「落日ぶり」だ。