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武は、社台の馬ローズキングダム

(10年・ジャパンカップ)の騎乗ぶりと、

同レースの審議での「発言問題」

を巡って社台の逆鱗に触れ、

干されるという結果を招く。

さらにタメ殺し騎乗と相まって、

現在では社台に見放され、

有力馬にはあまり乗れなくなった。

勝利数の激減は、

まさに社台との確執が原因と言えるのだ。

代わって騎乗を依頼されるのは、

ご存じのようにミルコ・デムーロや

クリストフ・スミヨンといった

一流外国人騎手だ。

GⅠでの有力馬騎乗など、

もはや外国人騎手なくして

日本の競馬はありえないが、

それを積極的に推し進めてきたのが

社台グループなのである。

何でも、決定的となったのは、世界的な名手

ランフランコ・デットーリの存在だと言われる。

「02年のジャパンカップのテレビ放送に

ゲスト出演した照哉氏が

『デットーリが騎乗すると、

他の騎手より5馬身違う』と発言し、

物議を醸したことがあった。

実際に、ファルブラヴに騎乗した

デットーリが勝ったため、

照哉氏は『それ見たことか』

と自慢げにしていたが、

それを知った日本の騎手の一部から

『言いすぎじゃないか』

という声が上がったのも事実です。

でも、それも一時のこと。

社台はこの頃から、

外国人騎手中心でいこうと、

心が定まったと聞きます」

(厩舎関係者)

社台としては、

何とか通年で外国人騎手を乗せたい

(現在は1人約3カ月間の短期免許のみ)。

が、それには日本騎手クラブ(会長は武豊)から

「そんなことをされては日本人騎手の生活が脅かされる」

と反対の声が上がっており、

JRAもOKは出していない。

それならばと社台が次に打ち出した手が、

地方競馬の名手・戸崎圭太(大井)の起用だった。

さる調教師はこう話す。

「南関東に預けている社台の有力馬には

必ずと言っていいほど、戸崎を乗せています。

彼がJRAに来て乗る時にも、

社台はいい馬をドンドン回しています。

ほとんど、外国人騎手と同じ扱いですね。

来年2月のJRA騎手試験に合格すれば

社台は関東の主戦騎手にするのではないでしょうか」

いずれにせよ、

期待馬には実力のある騎手を乗せる姿勢を、

社台は今後とも徹底していくことだろう。

ちなみに、社台において、

先の外国人騎手起用には一定のラインがあり、

社台レースホースには主に

デムーロ、ルメール。

サンデーレーシングには

スミヨンが乗るケースが多い。

彼らがそのクラブ馬に乗ってきたら、

まず勝負がかりと思って間違いない。

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「それもこれも、サンデーサイレンス産駒は、

初年度からGⅠ馬フジキセキ

(朝日杯3歳ステークス制覇)

を出すなどして、

爆発的な成功を見せたからです。

この馬の存在抜きでセレクトセールの大成功、

ひいては社台の現在はありえないと断言できます」

このセレクトセールで

サンデーサイレンスの果たした役目は、

いわば「打ち出の小槌」。

続々と高額取引馬を出しては、

社台の懐を温めていった。

ちなみにサンデー産駒の馬には、

あのディープインパクトもいる。

ディープは現在、

チャンピオンサイヤーの座を確定的にし、

日本の競馬の牽引車的存在になっている。

一回の種付け料は1000万円と言われ、

「それで年間200頭以上に

種付けをしているわけですから、

どれだけ儲かるかがわかるでしょう。

社台王国を潤わせ、

影響力を増大させているドル箱ですよ」

(トラックマン)

さて、サンデーサイレンスの成功については、

日本の馬場にマッチしたからだ

ということがしばしば指摘されるが、

実はその仔の扱いは簡単なものではなかった。

産駒の多くは手足がグッと伸びて

しなやかな動きをするが、

気性面の荒さを持ち合わせ、

また、直線で抜け出すと気を抜いて

「ソラ」を使ったり、内にササッたりもした。

その典型的な例が、

95年ダービーを制したタヤスツヨシや、

96年皐月賞馬のイシノサンデー。

直線で抜け出す際に、

内側にササッて他馬を妨害、

長時間審議になった。

だが、こうした「クセのある」

サンデーサイレンスの仔を上手に操り、

何度もGⅠ勝利を収めた騎手がいた。

言うまでもなく、天才と称される武豊だ。

武をよく知る厩舎関係者が証言する。

「豊はビデオで現役時代のサンデーサイレンスの

走りを何度も繰り返し見ていて、

そういう癖があることを早くからつかんで乗っていた。

つまり、スタートして気合いをつけるようなことをせずに、

脚をため、直線で他馬を

一気にかわしてしまうレースをしたのです。

ディープインパクトの騎乗がまさにその典型ですが、

実際に乗っていた時は、

レースへの集中力をどう保たせるか

神経をかなり遣ったと聞きます」

一方で、こうした騎乗

は武にとっての弊害も生むことになる。

「この成功に味をしめたせいか、

あまり前々で競馬をしないようになりました。

それで人気馬に乗って取りこぼす(差して届かず)

ようにもなり、いつしか

『タメ殺しの武』と

揶揄されるようにもなりました」

(トラックマン)

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社台グループが競馬界で台頭し、

今日の「社台一人勝ち」

状況の礎を築いた背景には、

種牡馬ノーザンテーストの成功が大きかった。

その一人勝ちをさらに決定づけ、

社台の地位を不動のものとした馬が出現した。

94年に衝撃的な種牡馬デビューを果たし、

あらゆる種牡馬記録を塗り替えた

「怪物種牡馬」サンデーサイレンスである。

サンデーサイレンスは、

社台の創始者である吉田善哉氏が

89年のブリーダーズカップ・クラシックを

現地で見てホレ込み、

「この馬に壮大な夢を託したい」

と心に誓って入手した馬だった。

事実、その期待はみごとにかなったが、

善哉氏自身はサンデーサイレンス産駒の

華々しい活躍ぶりを見ることなく、

92年に亡くなってしまう。

サンデーサイレンスという善哉氏の遺産、

そして巨大事業を引き継いだのは、

いわゆる「吉田三兄弟」と呼ばれる

3人の息子、すなわち

長男・照哉氏、次男・勝己氏、三男・晴哉氏だった。

サンデーサイレンス導入に関しては、

こんなエピソードがある。

「サンデーは、もともと

アメリカで種牡馬入りする予定だったものを、

1年以上に及ぶ長い交渉の末に、

社台が手に入れたものです。

EVA(ウイルス性動脈炎の予防注射)を打つと、

日本の法律では輸入ができなかったのですが、

それを打つ寸前で、

照哉氏が止めたそうです。

最終的には16億5000万円もの

大金をはたいて手に入れましたが、

向こうでは母系が弱いために

2頭しか種付けの申し込みがなかったと聞きます。

もし日本にやって来ることがなければ、

あの馬の運命も変わっていたことでしょうね」

(生産関係者)

こうして日本にやって来たサンデーサイレンス。

競馬ファンなら誰もが知るように、

日本の競馬界を激変させるほどの

偉大な業績を残したが、

その一つに、

社台グループが中心になって98年に始めた

「セレクトセール」がある。

サンデーが種付けしてできた仔をセリにかけて、

初回から1億円を超える取引馬を輩出。

サラブレッド売買の形態を変える

「流通革命」を起こしたのだ。

前出・生産関係者はこう言う。

「日本のサラブレッド売買は、

従来は庭先取引

(牧場での、馬主と生産者間での私的な取り引き)

がほとんどで、おなかの中にいる時から、

買い手が決まっているような状況だったのです。

ところが、それではなれ合いが生まれやすいし、

新規参入者が参加しづらい。

そこで社台は、誰でも買えるようにして、

流通の活性化を図ったのです」

結果、庭先取引の「価格の壁」

と言われた5000万円を打ち破り、

トップクラスの馬を1億円はおろか、

3億円以上にまで

引き上げることができるようになったのである。

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